長崎県の小学校教師であった近藤益雄さんは、1953(昭和28)年、46歳で退職すると自宅に「のぎく寮」を開設した。知的な制約をもつ子どもたちの教育を、生活全般にかかわりながら遂行しようと志してのことである。「のんき・こんき・げんき」は、近藤さんが子どもと対するときに心に置いたモットーで、多くの教師の心得として今日まで語り継がれている。
近藤さんの著作集にある“S子との格闘”は、教育について考えるときの原像の一つとなる(『近藤益雄著作集6 その花はまずしくとも』明治図書)。
S子は3年生で、IQは30そこそこ、一度何かで笑いだすと2~3分は笑いが止まらないような子どもであった。平仮名を教えてみると、それは「なかなかたいへんなしごと」で手間取ったが自分の名前が書け、その他の平仮名も読み書きできるようになっていった。
ところが、「み」となると、どうしても「み」と鏡文字で書いてしまう。何度教えても「み」と裏返しになってしまうので、どうしたらいいか近藤さんは考え込んだ。黒板に書いた「み」を見て書く。その「み」の上をなでて書く。点線で書いた「み」の上をなぞって書く。手を取りながら書く。思いつくかぎりを試したが、どうしても「み」となってしまう。「み」と向き合う2人の“格闘”は、来る日も来る日もつづけられた。
ある日、近藤さんは「見て書く」という目の働きに問題があって、もし指先の感覚だけを働かせるならば書けるのではないかと思った。そこで、タオルで目隠しして黒板に書かせてみると正しい「み」が書けた。しかし、目隠しを取りはずすとまた「み」となってしまう。
目隠ししたり取りはずしたりして書きつづけていると、ようやくきちんと書けるようになった。大喜びするS子は黒板いっぱいに「み」を書いて、「のぎく寮」に帰っていく。
その後のS子について、近藤さんは次のように書きつづる。
《その日の夕方、私がかえってみると、寮の庭につくってある6平方㍍のらくがき場に、しろいチョークで「みみみみ……」と300以上も「み」がかきならべてありました。/もちろんS子がかいたものです。「み」の一字が正しく書けるようになったそのよろこびが、無数のおどるような「み」の行列にうかがわれました》
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短期大学の「教育方法」の授業で「教える・学ぶ」について考えるとき、私は近藤さんのこの実践を紹介する。しかし、最後まで読み通すことはせず、「み」がようやく書けて寮に帰っていくところで止めて、「寮に戻ったあと、S子はどういうことをしたと思う?」と問いかける。
学生はいろいろと想像する。寮の友だちに「書けるようになったんだ」と得意になって話すんじゃないか。ノートに「み」をいっぱい書くんじゃないか。砂場に「み」を書いて、忘れていないか確かめるんじゃないか。こういった推測が出される。
―――ほんとうにそう思うの? たった一字「み」が書けただけだよ。家に帰ったらケロッと忘れて、何かの遊びに熱中するんじゃないの? このように私は反駁を試みる。なぜなら、誰がどう考えても、たったの一字「み」が書けるようになったにすぎないからである。
しばらく間を置いてから、「6平方㍍の落書場に、300以上の『み』を書き並べた」というくだりを読む。授業後に書かれる感想には、次のようなものがある。
○学生B《たった一字書けるようになっただけではあるが、その喜びを全身を使ってコンクリートの壁に表現するその姿は、どれだけ先生に喜びを与えたことだろう。何かができるようになるということは、その子どもが嬉しいだけでなく、その姿を見守る教師も嬉しくなるのだと、当たり前のように思えるが、あらためて実感できた。》
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いろいろと手立てが講じられていくのだが、どうしても「み」の書けなかったS子。ちゃんと書ける
ようになった決め手は、どこにあったのだろう。タオルで目隠しして、「見て書く」という目の働きが断たれたからか。根気よく繰り返し繰り返し書きつづけたからか――。
S子には「あ」や「ぬ」や「め」は難なく書けたように思えるのだが、「み」だけが鏡文字となってしまう。それはどうしてなのだろう。数百の「み」を飽きることなく書き並べて止まないS子の内面を覗きみてみたいと私は思う。
学生Cは、一つの推測を次のように書き記してくれた。
「学ぶ」は忘れません。S子が“み”を最初書けなかったのは、覚えようとしていたからなのかなと思います。だから、すぐ忘れてしまう。ですが、目をかくした時、感覚は学ぼうと思ったのではないでしょうか。何回もくり返すうちに“み”が書けるようになった。S子は“み”を学んだのです。
その後のS子の行動は喜びが爆発したようでした。学んだことがわかった時、子どもは嬉しいんだと思いました。覚えようとするのか、学ぼうとするのか。子どもがどちらをするのかは教師しだいです。理解しようとする思いを引き出すことこそが、教師の役目ではないかと思います。
つまり、近藤さんが様ざまに工夫して教えているとき、S子の内面にあったのは「しっかり覚えなければならない」という一念であった。覚えよう覚えようと気が急いて、頭も指も「み」という“字の形”をまねることに向いていた。
しかし、目隠ししたとき、「み」と向き合う構えが変わった。「み」という字をしてからだをくぐらせ、自らを「み」という字になりきらせるかのような感覚になった。この意識の転換が「み」をものにさせる道をひらいていったのではないかというという推測である。
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林竹二さんは「学ぶということは、覚えこむこととは全くちがったことだ」と私たちを戒める。そして、次のように指摘する。
―――学ぶとは、いつでも、何かがはじまることで、終わることのない過程に一歩ふみこむことである。一片の知識が学習の成果であるならば、それは何も学ばないでしまったことではないのか。学んだことの証はただ一つで、何かがかわることである。(『教えるということ』国土新書)。
「丸暗記に努めて覚え込んだ知識」が停留する期間は短い。しかし、どの脈絡に納まると落ち着くか、その根付き先をまさぐるようにして向き合って身につけた知識は、思いのほか留まりつづける。思いもよらないところで眠りから覚め、すっくと立ち現れることがある。
「み」の書き方は、いとも簡単に覚える子どもが多い。しかし、立ちはだかる厚い壁に囲まれ、苦闘を重ねる子どもは、S子のほかにもいるだろう。そういう子どもにとって、「書けなかった一字が書けるようになる」ということは、「×だったものが、○に変わる」というような単純な話で終わりえない。
閉じられ塞がれていた密室から身が開け放たれて、さわやかな風をたっぷり吸い込んで足取り軽く歩き出す。湧き上がってくるその波動は四方にひろがり、「このような力もあったのか」と自分がいとおしくなる。
「学ぶ」といういとなみは、たしかに「何かが変わり、終わることのない過程に一歩ふみこむ」ことである。その場に居合わせると、教師は「教える」といういとなみの「終わることのない過程」に身を置いている喜びをかみしめ、次の実践へと心を向けていく。